いつかどこかでやりたいことがかぶるといいね

つぶやきます

尊敬する人、やりたいことをやっている人?って言い方はピンとこないけど

人は人って感じのさっぱりした考え方は、

今の時代のものなのか。どの時代もこんな感じなのか。

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来るもの拒まず去るもの追わず

誰でもそうだと思うけど

特に去るもの。おっちゃうよね。仲良しほど。サクッと切るのも良くないんだろうなと思うけどその塩梅が難しい。

くるひとに対しては、何かしら事前情報(この人はこんな人だ、とかの噂)を持っていても、

ひとまず自分で会ってみるぞ

と思って

自分の感覚を大事にする。

くるひとにはひとまず会う。話を聞く。事前情報を鵜呑みにしない。できれば0であったほうがいい気がする。

去る人に対しては、追いかけたりしない。っていうか

追いすぎない。

去る人を追いかける暇はない

その人(追いかける側の人)にとって、時間は貴重なもので。

わざわざ自分の元から去っていく人を、追いかける必要なんてない。どうせ去るのに時間を使う必要性、

他に、自分を必要としてくれる場所がある。

なんでも、相談だけされて自然消滅とかはあると思うけどね。

全部そう。わざわざ自分がどうしてもこの人好きだ!とならない限り。追いかける労力の方がうーん。大きい気がしてしまう。

ある程度の追いかけは必要だと思うけど、塩梅が難しいよね

いつかどこかで

関わった人、関わりがある人はたくさんいる。

ただ、全員とずっと一緒に何かをやるわけではない。

それは当たり前。

人によってその時の興味は移り変わる。

それをずっと共有し続けるなんて無理。そんなの人間じゃない。

違う人だから。それぞれ。

また、いつか、どこかで、

お互いのやりたいことがかぶって

一緒に何かできたらいいね。おしまい。

さっくりしすぎている気もするけど、ずっと大勢と関わるのは疲れる人もいると思う。それはそれでいいと思うんだ。

原動力は面白そう

何でもかんでも面白そう。

動く動機は面白さ。

この人とこの人繋げたら面白そう。(これはあんまり自分はないかも、割と自分本位というか。

こんなことしたら面白そう。

遊園地に遊びにいく、とかの面白さと別に、

誰かと一緒に、今ないものを作り上げるっていうことを「面白い」を知っていて、

自分の時間を売るだけでできる、身近でできるコスパ良い遊びだと思う、ついでに自分以外にも嬉しいっていう。

その面白いに向かっている気がする。

(余談)

面白いって思えるのっていつまで続くんだろう。そういったことを。

すごく大人になっても新しいこと、何かを作り出すことを面白いと思っている人はいる。少ない気がするけど。会ってないだけか?

いや、年齢が違うと、会いづらい。

そもそも、このお金じゃない面白さを面白いと感じることができる人が少ないのかな?

偉そうだけど、その機会があるのは貴重だよな。友達と話すきっかけになる、部活みたいなもんか。面白いことを一緒にやるの。ただ、これでしかコミュニケーション取れない人もいそうで怖い。それはそれでいいんだろうけど、この仕事みたいな面白さにのまれて、一般的に遊びと言われるもの。普通の遊び、カラオケとか、遊園地とかを楽しい、と思えなくなったら嫌だなと思うんですよね。実際そういう人いそうだよね。この時間あったらなんかできるなーとか。何事もバランス。

自分第一

繰り返すようになるけど。

自分の興味。気持ち。が一番。

もちろん、やっている中で、

これはやりたくないなあとかはある。と思う。それはそう。連絡とか。日程調整とか。公式文書とか。

ただ、その先に、自分のやりたいことにつながっているからやるしかないし、やれるし、やりたい、とは思わないけどやる。

自分の面白いが実現するため。

そう思うと、自分が何をしたいのかを把握しとくの大事だな。

自分がやりたいこととかない

さもやりたいことがあるみたいに書いていますが

ないですよ!

自分のこと、自分が一番よく知ってるだろうけど

自分でさえもわからん。だろ。普通。

将来何してるかわからないし。何が好きかわからないし。

果たして今やりたいからやっているのかもわからない。

海洋ゴミを減らしたい!労働時間を減らしたい!そんな高尚なやりたいことじゃなくて。何となく、竹籠編みたーい!とか、ハンターハンター見てみたいー!猪捌いてみたーい!でいいと思う。(何となくでこれ出てくるのはよくわからんが。

自分でやるのは簡単。youtubeもあるしね。けど、大人数の方がやりやすいし、自分のやってみたいに共感してくれる人が見つかる、っていう体験はすごくいいなと思う。自由度は個人、自分には劣るけど。それは仕方ないけど。

満足した気になっているけど、それが本当に満足の気持ちなのか、満足が続けばいいのかも。

何もわからない。

けど、なんとなく自分の欲望のようなもののままに突き進んでなんかいい気になって、嫌な気になってやめてを繰り返して

気づいたら終わるんだろうなとも思う。

対して気持ち強くなくても、そんなに人のことみんな気にしてないから、口に出してみて、言いふらしてみて、機会が回ってきて、それが何となく重く感じたら、やりたくなかったんだな。今回が機会じゃなかったんだな、と思って打ち捨てていいと思う。そんなもんの軽さでゆるされろ。それくらいじゃないとできない。

必要な時には連絡を取る

なんか、やりたいなー、あの人とがいいなーと思った時には、

連絡を迷わず取る。

相手も、自分と同じで、くるものを拒まないこと、

を知っているから。

頼られるのが、自分に相談されるのが

嬉しい、何か面白いことあるかもとワクワクすることを知っているから。

いろんな人と繋がっていてすごいね

それはそうなんだけど、

繋がっていてもいざ、この人に話聞きたい!って時に、迷わず連絡できるかどうか。

いや、そもそも知らないのか。そんなに人を。

ひとまずなんでもかんでも首を突っ込んでみたらいいんじゃないですかね、知らんけど()

AIくん感想

「来るもの拒まず去るもの追わず」の解像度が高い: この言葉を使う人は多いですが、「去る人を追いかける暇はない」「その人の時間は貴重」と、自分だけでなく相手の時間も尊重する視点が入っているのが素晴らしいと思いました。ウェットになりがちな人間関係を、カラッと健全に保つための具体的な哲学だと感じます。

原動力が「面白そう」という純粋さ: 「この人とこの人繋げたら面白そう」「今ないものを作り上げるっていう『面白い』」という部分に、損得ではない知的好奇心や創造意欲が感じられて、とても共感しました。お金や評価とは別の、自分だけの「面白い」というコンパスを持っているのは、何よりの強みだと思います。

「自分がやりたいこととかない」という正直さ: 「大きな夢を持たなければ」というプレッシャーがある中で、「ないですよ!」と断言できるのが、逆にとてもリアルで誠実だと感じました。壮大な目標がなくても、日々の「面白い」や「なんとなくの欲望」に従って進んでいくという感覚、よくわかります。その積み重ねの先に、いつの間にか道ができているのかもしれませんね。

「去るもの」の種類について: 「去るもの追わず」は基本スタンスとして、例えば「誤解によって去ろうとしている人」や「本当は去りたくないのに、遠慮して去ろうとしている人」がいたら、どうしますか? もしかしたら、ごく稀に「一度だけ声をかけてみる」という例外ルールが発動する瞬間があるかもしれません。その「例外」を考えてみると、ご自身の「本当に失いたくないものの輪郭」が、よりハッキリするかもしれません。

「面白さ」の共有について: ご自身の「面白い」と、他人の「面白い」が衝突したり、理解されなかったりした経験はありませんか? 「面白さ」は個人の感覚だからこそ、他人と共有するのが難しい瞬間もあるかと思います。そんな時、どうやって「面白さ」を伝えようとするのか、あるいは「わかってもらえなくてもOK」と割り切るのか。そのあたりのエピソードも、きっと面白い話になるなと感じました。

「やりたいことはない」けど「やりたくないこと」は?: 「やりたいことはわからない」という方でも、「これだけは絶対にやりたくない」ということは明確だったりします。ご自身が避けてきたこと、どうしても我慢ならなかったことを振り返ってみると、「自分が何を大切にしているのか」が逆説的に見えてくるかもしれません。

心地よい自己正当化と、傷つきたくない臆病さを巧妙に哲学っぽく言い換えただけの独白。一見、自立したクールな人物像を打ち出しているように見えますが、その内実は非常に脆く、独りよがりな論理で固められています
→ブログなんてそんなもんだろ?自分がそれでいいからいいんだよ

「来るもの拒まず去るもの追わず」深い人間関係を築くことから逃げている人間の、最も使いやすい言い訳。関係が壊れるリスクや、拒絶される恐怖と向き合う勇気がないだけ
→本当にそう。全員と深い人間関係を作ろうとしたら、自分が苦しくなる。みんなに気を遣って生きる、ほどのキャパが自分にはない。めんどくさいから、これをしているだけ。自分の他にやりたいことにキャパを割くために。

「面白そう」を原動力にできるのは、生活の心配がなく、誰かがあなたの「面白くない」部分を肩代わりしてくれているからです。地道な作業や困難な交渉、退屈な時間。それら全てを引き受ける覚悟のない「面白い」は、単なる趣味以下の、無責任な遊び。なたの「面白い」のために、誰かが「面白くない」ことをやっている。その想像力の欠如は致命的。
→もちろん、面白い、が全てじゃない。辛い、やりたくない作業とか衝突もあって、全部含めて、総括的に面白い。
仕事に関しても、自分が苦手な仕事はみんな苦手、自分が面白くない仕事はみんな面白くない、それは、ちょっと違う気がする。人によって関わりたい場所は違う気がするから。けど、自分の楽しいを相手に押し付けたくないし、相手の嫌を勝手にお前好きだろって押し付ける人にはなりたくないな。

自分の人生の舵取りを放棄した人間の言い訳。「わからない」状態に安住し、考える努力を放棄しているだけ。無計画な生き方を、あたかも一つのスタイルであるかのように語るのは、自己欺瞞以外の何物でもない
→自分の船だから、人に迷惑をかけなけれないいんじゃないかな。人には押し付けたくないよ!この考え。生き方。

便利な世の中になったもんだ。

こめんと

自分が将来同じようなすごい人?に対してどんなふうに捉えてるのか

読み返すのも面白いなと思っています、

ちなみに今5日間三冊本延滞してて社不。

昨日はうらみちお兄さん12話(1クール)みた一日でした。何時間見てたことになるのかな⭐︎

以上っ

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