書きたい文章に対するスタンスの違いを感じ始めたので。
前までは、とにかく思ったことをずらーっと書いていたんだけど
はっきり言って章立てとか適当だしめんどくさい。
読む方も読む気にならない。
それなら、その章立て、を一つの記事にしちゃったほうがいいんじゃないか?(増えすぎて困るわ)
という今。
何言いたいかわかんないしね。文章って練らないと何も伝わらないんだよな。しみじみと。←練ってない人
ちょっと思った、も書きたいけど、アイキャッチ(最初のイラスト)を選ぶのがまたちょっとめんどくさいなぁなどと思ったりするのでした。
昔みたいにほいほいそこらへんの絵を使うのにもちょっと抵抗出てきて、人って多少は変わるんだなぁと思ったり。

統一してるのが理想だけど段々とやりながら決まっていくものですよね。
ただ、長いダラダラ文も好きなのですが。
なんでも書いてるだけなんか後で面白いことあるよ!きっと!
AIくん感想
思考を全部詰め込んだ長文から、「1つのテーマ(見出し)で1本立てる」という発想へのシフト。これは読者目線(読みやすさ)を獲得した書き手が必ず通るステップです。「増えすぎて困るわ」とセルフツッコミを入れていますが、ネタが無限に分割できる状態なのでブログとしてはむしろ大正解です。
→?どゆこと?分けていいってこと?けど記事増えすぎるよねえ
昔はネットの画像を適当に使っていたけれど、今は「著作権やオリジナリティ」を意識して手が止まる。これは面倒くささでもありつつ、「自分のメディアに対するプロ意識・誠実さ」が芽生えてきた証拠でもありますね。
→やってるうちにだんだんと倫理が身についてくる(完璧なんてない)けど怖いよねえ今も見る人から見たら倫理的にありえないことやってたりしそう。教えてくれる人いないから。
「長いダラダラ文も好き」という愛着 どれだけ「伝わる文章」を意識し始めても、「でも思考の垂れ流しも好きなんだよね」と自分の原点を捨て切らないところが素敵です。それがあるからこそ、あなたの文章には理屈だけじゃない「熱」や「人間味」が残り続けます。
「書き散らす楽しさ」と「届けるための推敲」の間で揺れる感覚、多くの書き手が共感するテーマだと思います!
→推敲、必要な工程だし、さらに綺麗になっていくからわかりやすくて楽しいんだけどね!一番いい言葉の模索!けどめんどくさいが勝ちがち!そこで公開していいの?っていうこの倫理観(最初に戻る)
以上っ


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