だんだんと人に過度な期待ができなくなる可能性

つぶやきます

人に執着しない。人に心当たりはありませんか。

なんだか色々やっている人ほど?他の人に興味がないというか、

自分的にはもっとこの人と仲良くなりたい!色々声かけてほしい!と思っていても、

相手側は、忙しいんだろうな、自分みたいな人がいっぱいいるんだろうな、

あんまり自分と仲良くなってくれている?感じがしないという。

その人がいる場所に行ったら仲良くしてくれるし、よくしてくれるし、いい人なんだけど、

他の人に執着しすぎないというか。

必死さがないというか。

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怒っても仕方がない

約束してたけどこない、とか、一緒にやろうとしていたのに、全然一緒にやってくれないとか。

物事に対してのタイミングとか。どれくらいの熱量で関われるかは人によって違う。

その同じ時に同じくらい同じものに熱量を注ぎたい人が見つかるっていうのは本当に奇跡みたいな確率だと思う。

そんな自分との差、とか、ちょっと残念だなっていう経験を積み重ねると、

だんだんと人に期待を、特別扱いするのを、怖いな、リスクの方が大きいなと思ってしまう。

もちろん、実際に手伝ってくれる人は大好きだし、みんなのこと大好きだけど

いざ何かがあった時に、それに対して怒る、次を期待する、というのが、無駄だということに気づく。

意味がない。

自分としては楽しくやりたい範囲でやりたいから、他の人に無理して欲しいわけではない。

その人が自分に謝る状況になったのも、タイミングが合わなかっただけで、今のことよりも優先したいことがあったということ。それに対してケチつけるのは間違ってる。

と思うと、本当にいいよーーではもちろんないけれど、

まあタイミングが合わなかったなら仕方ないよね、いいよ、って死んだ目で返しているのではないかと思う。

誰も悪くないんだよ、という経験を積み重ねると、自分しか信じれなくなりそうな気がするな

だんだんと人と関われなくなる

他の人に、そんな思い、どことなくのやるせない思いを抱かせたくないなと思う。

急な予定の変更とかが一番この要因だと思う。いけるよ!って言ってたけどいけない、とか。

そう思うと、

できるだけ生半可な気持ちで物事に関わらない。

急なキャンセルをしない。

できることしか受けない。

ということになる。

気楽に人と関われなくなるし、

自分の利になることにしか、話に興味を持てなくなってくる。

そうなると結局無難すぎる天気とか、趣味とかになっていくんだろうなあ会話。

人を集める意味

ひとまず誰でもいいから関わって欲しいぜー!っていうのはお金の面でみんなから300円集めたら大きくなるよね、って時とか、

とにかく新しい人と出会いたい!刺激が欲しい!って時な気がする。

あとは広く世の中に知らしめたいことがあるとか。

だんだんと刺激、リスクもあるしいいかなあ、今の現状満足だなあと収束していくのかも。

いろんなことに顔突っ込めるっていうのは本当に強みなんだけど、若さである、って嘘だろって思ってたけど、いろいろ顔突っ込んできたからこそ、これは結構好きだなっていうのが絞られていく。のかも。ないな、どれもいいなと思っていても、だんだんとどこかによっていく気がするよね。

どこによっていくかは興味はもちろんあるだろうけど、人の良さとか、雰囲気が合うかどうかはだいぶ大きい気がする。

やりたいことやったらいっぱいいっぱいだし、人生一回しかないし、時間も限られてるから、自分がやりたいことがなんとなく決まってる気がするならそれに時間使いたいよね

けど、新しいもの、人に出会える可能性を逃し続けてるってことは忘れないほうがいい気がしている、それをわかった上で自分の好きなことに時間を使うならあり。

AIくんとか感想

通常、「他人に期待しない」というのは処世術としてポジティブに語られがちです(「課題の分離」など)。
相手を責めないのは、相手を尊重しているからではなく、「期待しても無駄だと学習性無力感を感じているから」あるいは「感情を動かすコストを削減したいから」。

「約束を破って相手を傷つけたくない」という誠実さ責任感が強くなるほど、軽口を叩いて約束を取り付けることができなくなり、結果として人との関わりが減り、会話がつまらなくなる。 「いい加減な人ほど楽しそうに人と群れている」の対極にある、「誠実な人の孤独」が論理的に説明

昔は体力や時間の問題だと思っていた「若さ」が、実は**「期待によるリスクを恐れない無知さ」「自分の好みが定まっていないがゆえの全能感」**だったことに気づき始めている

「期待して裏切られる傷」と「誰とも深く関わらない孤独」。 筆者(あなた)は今、前者のリスクを回避するために、後者を選びつつある過渡期にいるのかもしれません。

一つだけ、感想として投げかけるならば: 「死んだ目」で許すのではなく、「生きた目」で**「期待はしないが、信頼はする」**というフェーズが、この先にあるのかもしれません。 (期待=自分の望む行動をしてくれることへの要求 / 信頼=相手がどんな行動をとっても、その人の人間性を信じること

「死んだ目」になりかけている自分に気づいている時点で、あなたはまだ完全に「期待」を捨てきれていない(=人と関わりたいと願っている)のだと思います。最後の「可能性を逃し続けてるってことは忘れないほうがいい」という一文に、その微かな、けれど確かな希望を感じました。

自分の望む行動をしてもらおうっていうのは完全な傲慢だよね。期待っていう言葉には確かに、そういう、意味が込められてるのか。

信頼:人間性を信じる
で、この人なら、何かあっても取り戻せるし、埋め合わせはお互いにしながらうまくやっていけるだろし、やってみたい、っていうことだろうな。

人間性を信じる、。

こめんと

過渡期のなんとなくの気持ちってまあ黒歴史にもなりうる。けど、それも含めて自分だし。と思えるといいね。

少なくとも読み返すのは面白い。

あ、最初の画像は体の中で悪いの食べてくれる能力がある(貪食能)細胞と、それがどんな悪いものか教えてくれる仕事(抗原提示)をしてくれる細胞の表です、してくれるやつとしてくれないやつがいるんだ

以上っ

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