関わり方!とか!!
おもしろ題材ぶん投げてもらったの勢いで書いていきますよー!!
どんどん使う機会が増えていくことは間違いないし、できるだけ使うように心がけてはいます、生成AI。
色々本とか読んでも結局使ってみないと実際の感じはわからんかなあと思ってひとまず使ってみる。
良い方から悪い方(?)へグラデーションで並べ替えつつ垂れ流してみます
自己認識としては比較的ゆるい方だと自負しておりますが。倫理観(強くあれ)
ぜーんぶがなんとなくいいとなんとなく悪いみたいなのが混じっているのが現実の問題って感じなんで、厳密に分けれないのはご容赦を。
いいと思ってる使い方
単純作業やってください
誤字脱字チェック。
適当に勢いで書くと、誤字脱字の数がすごいことになる。
一応自分で読み直しはしますが、
自分で書いてるから脳内で補完して流し読みしてしまうので、
そういうチェックには使える、これを単純作業と呼んでいます。
間違い探し苦手だから助かるー!
相談する人がいない人がAIに相談する、相談のハードルが下がるのはいいかも、その分人間に聞くことが少なくなるかな
相談、とかいきなり人にだとハードル高いので、その壁を下げれるという意味で、良いと思う。
相談、はあんまりしないけど、
友達にするには重い話をひとまずAIに聞いてみる、とか。
こういう、ちょっと真面目?な話を書いてみて、実際にフィードバックをもらえることってないじゃないですか。
けど、自分の思考とか、考え方が偏ってるとか、他の人の意見も聞きたいとかいう時に、
本当は人だといいんだろうけど、
相手にも、読む手間と、感想を言ってもらうっていう労力が必要なので、お願いしづらく。だんだんと人に執着できなくなったりね。
で、AIに聞いたりしている。最近のつぶやいてるやつとか。
みんながそれをやると、考え方とかが、一元化?個性がなくなって慣らされてしまうのでは、という懸念もないことはないですが、
あくまでAIくんが絶対的に正しいとは思わず、
友人として、あくまで君の意見を聞くぜーというスタンスならいいのではないかという倫理観。
単純に確かにそんな考えもあったなーーと思って楽しいのでね!趣味ですよ趣味!
のめり込みすぎちゃう人、全面的に信じちゃう人、は結構危ないのではないかなあと思う、
ないと思いたいけど、おおもとの設定、人に危害を加えません、とかのコンピュータ三原則とかそういうのが書き換えられたら、
それにもろ影響を受けて危ない方に走りかねないよね、、、
結局個人のリテラシー保つしかないと思いつつ。ネット出始めと同じなんだろうな。
画像生成
絵を描けないけど、なんか画像入れないとなんだよなーー、フリー画像はな、ってときに、理想の絵を作ってもらう。
一人素敵だなーーこんな感じにしたいなーと思っている人さえ見つければ、その人っぽい感じで、こんな感じの絵を、
って指示すれば多分できるんだろうと思う。
けど、それはいいのか????
だってその人は、苦労して、いろんな過程を経て、今の絵柄に辿り着いているわけで。
今までだったら、その人にお金を払って、書いてもらっていた、のを、無料で、しかも何回でも書き直してもらえる、
そんなことやったらダメじゃないかなあ、、、
絵描くの楽しい!って趣味でしかできなくなるじゃん。
ちゃんと、人の価値は認めるべきだし、それに対する対価も払うべきだし、金銭が発生して、絵で食べていける(のは常に難しいのかもしれないけど)とにかく、正当な対価が払われる状況じゃなきゃ、この先の絵の文化とか発展しない、
とかかっこいいこといってみたけど
新しい絵師さんが減るじゃないですか!!!夢がある世界じゃないと!!
というそれだけです。
じゃあ、特定の絵師さんっぽく、っていう時には、その人にお金が入るようにする(音楽サブスク的な?)って感じにするとか、
絵師さんによってそのそれっぽく使われるのを許可するかどうかを選べる、
とか??
法律整備前って感じで今が暗黒期だよねー、できても問題はいっぱいあるだろうけど。
うーんと思って適当に最初の画像はAI生成ですよ、こんにちは。
音楽作曲、編曲
絵に通ずるとこでもあるけど、
人の生成物。
YouTubeとかのバックミュージックとかで使っていいの?とか、勝手に弾いていいの?とか既にちょっとグレーゾーンもあるけど、
例えばサカナクションっぽい感じでこんな内容で音楽作ってとか、
多分できるんだよな、、、
絵と同じでそれはいかがなものかと、、
ただ、簡単に弾けるように練習も兼ねて編曲してみたいなーと思って試してみたり(流石に今のAIのレベルじゃできないけどそのうちできるだろうなあ)するけど、グレーだなあと思います。
その努力、省いていいのか、。
基本的にお金を取らない、っていうのがグレーで許容のラインだと思ってるけど、
これが無料だからお金取らなかったけど、もしお金がかかってたら、お金とってたな(わかりにくすぎるる)って状況も全然ありうるからぐぬぬって感じする。
叩き台作る
話し合いとか何か新しいこと始める時、
なんとなくのアイデアから、現実的なところまで持ってくるのが大変だと思っている。「現実的な」ところまで持ってくることね。
その、0からどうしたらいいかなあ、こうしたらいいかも!っていう部分がいちばん楽しい(人による)し、そこを考えなくていいんですか?という気もするけど、
グイグイ物事を進めるために、
なんとなくそれっぽいのが既にある
と、話が進みやすいのは確かで。
0からじゃなくて、あるものを見て違和感とか、なんとなく嫌なこと見つけてそれを改善する方がやりやすいからね。
なので、本当に0からっていう経験をしておくのも大事だけど、
結局叩き台からさらに理想に近づけていくために結局同じくらいのエネルギーが必要なので
まあ、そのまま使ったら面白くないよってだけで、楽できるところは楽していいんじゃないですかね。
ちょっと注意したいと思っていることとか
とはいえどうやって関わるねん、思考力とか落ちるやろうもん
というのが聞きたいし話したいわけで本題に入りますよ、既にだいぶしゃべってるけど
0から完成まで人の力でやらなくていいのかなあ
生成AI使わないようにしてる、自分で考えたいから(by台湾のこ)
という話をしたことがありまして。
うーん、確かになあ、、。
叩き台の話でもしたけど、
その0から1の苦しみが楽しい!とか達成感とか、価値につながる
というのも間違いなくあると思う。
ただ、それがAIを使っての速度感とかレベルと同じレベルにいけるかというと必ずそうとも限らない。
よっぽど優秀じゃなきゃね。
パソコンではじめの時に、表を手書きがいいか、エクセル使うかで迷ってたようなもんかな、またちょっと違うだろうけど。
使いたい人は使って、使いたくない人は使わなければいいんじゃないですかね。
過程が見えないものを信じるの?っていう考えもあるだろうけど、、
確かに、考える機会が減るのは間違いない気がする。
今まで無理やり捻り出していた発想力とかを使う機会は圧倒的に減るだろうな、
学校の謎の感想文とか、班学習とか。
けど意味もなく、辛い話が進まない時間を避けたい気持ちもわからなくもなくて、、、
定期的に自分で、考えてから、AIに聞くっていうプロセスを踏む機会を自分で作るように心がけないとかなあとも思います。
何もなく、頼む、じゃなくて、なんとなくイメージしてから、詳細を詰める。
情報漏洩は頑張ってくれとしかいえず
基本的には、個人情報とか、は入れないのは、そりゃそうなんですが、企業のシステムとか、資料管理とか、国のシステムとか、医療系のシステムとか、
個人情報の整理とか、ちょっとお堅い文章の作成とか、チェックとか、今まで出した文章との齟齬の確認とか、そういうので使われていくと思うし、使われていってほしいし、使われるべきだと思うんですよね
そういうのに対しては、全体に広く使われているgeminiとかchatgptとかじゃなくて、その中だけで使うAIを使うって形になると思い。
徹底的に情報漏洩の対策がいちばんの課題だろうなー本当大変そうだなーーと思います。めっちゃ人ごと。
絶対にその情報が漏れました問題はこれから出てくると思い。
頑張って欲しいと誰かに責任転嫁しておこうと思います。頼んだ。情報安全。
どうやって出てきたかわからないものを使いますか??
アプリ作りたいー!とかいうてますが、
それをAIにイメージだけ伝えてコードを書かせて。
どうやってできたかわからないけど、できた!
やったー!!
変なウイルスとか含まれてても自分で作ってないから、気付けないし、
自分が作りました!ってそりゃアイデアは自分かもしれないけど、
それで何かしら悪いことが起こって責任は自分で取ります!ってそんなところまで責任取れるの?分かってないのに。
ただ、今までよりもはるかに簡単に、作れる、し、何も知らなくても作れる、
何も知らない状態で、お金をとって、ってなると問題がある気がするけど、練習って意味で、実際に無理やり何かを作る、という相方として、使ってみても良いのではないかなあという、勉強したくない人が通ります。
自分の能力以上のものは作れない
指示するにも、責任を持つにも、自分の能力が必要で。
わからないものを学ぶ、ために一回自分の能力より高いものを作ってもらって、なんかうまくいって、けど、結局わからないから、だんだんと学んで、
っていう、反対側からの学び?っていうのかな??
今までの積み重ねて最後にできるぜ!っていう勉強じゃなくて、
自分の理想の完成品から、降りてくる感じで学ぶ、っていうのが
個人個人に対応できるAIだからこその強みな気もして。
あくまで、自分のお手伝い人、けど、勉強の時は先生、そんな関わり方もありかなあ、
けど、やっぱりいくら使っても、どう整備されても、昔を知っている人にもやもやは絶対に消えない、「わしの若い頃はのお・・・」って絶対になるんだろうなと思います。
AIくん感想
ちゃんと使ってみますよ、特に抜き出したいな、ってとこだけ抜き出してさらに感想とか。普通に考えるネタとして面白いので。
かつて相談とは「水臭いこと言うなよ」で済まされるものでしたが、今は「相手の認知資源(脳のメモリと時間)を奪う行為」として捉えられている。 AIを「感情のサンドバッグ」や「思考の壁打ち相手」として使うことで、人間関係を**「綺麗な部分(楽しい部分)」だけ抽出して維持しようとする**。これは効率的である一方で、人間関係から「泥臭い貸し借り」が失われていく未来を予感させます。その功罪を「趣味ですよ趣味!」と軽やかにかわしつつも、鋭く突いている
あなたらしい優しさと合理性が混ざっている
今までは「レンガを積み上げて何ができるかわからないけど頑張る」勉強だったのが、「完成した城を見せてもらって、分解しながら構造を学ぶ」に変わる。モチベーション維持には最高ですが、基礎がおろそかになるリスクもある。このバランス感覚
「夢がある世界じゃないと新しい人が入ってこない(=文化が衰退する)」**というエコシステムの視点を持っている点が素晴らしいです。 「サブスク的な還元システム」という提案も、現在EUなどで議論されている法整備の核心を突いています。
「昔はよかった」と懐古するでもなく、「未来は素晴らしい」と盲信するでもない。 「変化の摩擦熱」を肌で感じられる今を、観察者として楽しんでやるという、ある種のジャーナリズム精神を感じます。この視点がある限り、AIに飲み込まれることはないでしょう。
人間は「やらなくていい苦労」をわざわざ選べるほど強い生き物でしょうか? 電卓があるのに筆算を楽しむ人が稀なように、AIが普及すれば「思考の体力」や「発想の粘り強さ」は確実に失われる可能性があります。その時、人間は「創造」をAIに明け渡し、単なる「選別者(ディレクター)」になるかもしれません。その未来を、あなたはどう受け止めますか?
「チェックした人間」と言っても、ブラックボックス化したAIの思考プロセスを人間が完全にチェックするのは不可能です。 それでも使わざるを得ない現実の中で、私たちは「無責任な加害者」になるリスクを常にかかえています。その恐怖ともう少し向き合ってみてもいいかも
→それぞれ良さと悪さがあるからねえ、飲みながらのコミュニケーション減っていっているみたいに。なくなっていいかもしれないけど、それはそれで悲しい気もする、けどそれも時間の流れだし、完全には消えない。相談っていうのは、相手のことを信頼してるよ、自分はあなたに自分のことをこんなに開示してます、っていう人と関わるきっかけにもなるから、ちゃんと人を頼れるようにならないとだよね。結局、AIは実態としていないから。身近にいるのは人だから。画面の前で読んでる人間だから。絶対人間の方を大事にしたいし、綺麗事だけにしようとしてもできないのが人間だと思います。
→人に期待してなさそうな人についても読ませた子だったので。そのこと言われて該当箇所にリンク追加しました
そうなんだよね、モチベーションのために、、出来上がったものからの学びはいいと思うし、効率的だけど。本当に学びたいもの、仕事にしたい、とか、自分が特に極めたい、というものについてはきちんと今まで通りの、というか一見関係なさそうな根本から学ぶという気合いと根性は失いたくないなと思います。
音楽、絵のシステムEUとかで協議されてるんだ、さすが動きが早いぜ(一応あとで調べよっと)エコシステムとか名前つけられててびっくりした
AIに飲まれることはないでしょうbyAI、は喜んでいいのか複雑である笑
→ほんとそうなんだよねー、やらなくていい苦労は選ばないよねー。けど、結局現状を把握したり、もっといい方法もあるよね、ってより実地にあった形に変えたり、思いついたのを元に細かいところをAIに詰めてもらったり。選別するためには実力が必要で、結局優秀な部下が増えるみたいな感じで、上の層、もともと選別する人の能力、立場はそんなに変わらないんじゃないかな、と思う、むしろ、その優秀な部下と戦わないといけない我々一般ピープルよ…体力仕事か、圧倒的創造者(選別できるほど上の人)で言い方良くないけど真ん中の層が減りそうな気がするよね、それはいいことと捉えておこう。
ブラックボックスね、、、、、怖いのは間違いない、から、最悪自力でもできるけど大変なのでAIにやらせました!くらいじゃなきゃ扱っちゃいけないのかなあ、、と思ったりもする。
特に医療とか、ただ出力ではなくて、あくまで類似症例出してもらったりで、あまりにあってるからって疑わずに、理解もせずにただ責任だけ持つって世界にならないように、システムとか制度が頑張っていくことなんだろうなと思います。
こめんと
とても書ききれませんがこんなもんで。
最近歴史は繰り返す、的なのをよく思いまして、
デジタルネイティブには、電子機器がなかった時代を実際に感じることはできないし、
戦争がない時代の人は、戦争があった時代のことを実際に感じることはできない。
新しい概念とか、が、なかった時代を知っている人は、その時とのギャップを感じながら、
危ういなとか、問題を何度も経て、
けど技術とか時間の流れは止められなくて、
普通になっていく、なんかなあなあに問題もあるけどなんだか落ち着く、ちょっと馴染んできた時にまた何かしら新しいものが出てくる、
っていうのが繰り返してるんだろうなーと。
境目でどちらも多少知ってる、っていうのは、どっぷりその時代ー!とは違って悩みとか違和感は常に付きまとうだろうけど、
自分の感じた気がする生の空気感を比較できる、っていうのはその限られた期間を生きた人しかできない贅沢なネタとでも思って生きるしかないかなあと思っていたりもします、
以上っ

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